*はじめに*
私たち川津小学校6年生は、紫雲丸事故の悲しみや、生存者の思いを多くの人に知ってもらうために、このホームページをつくりたちあげました。
紫雲丸事故は、昭和30年5月11日、午前6時56分に瀬戸内海で発生し、修学旅行中の川津小学校の児童・教員・保護者25名を含む168名のみなさんが亡くなるという、大変悲惨な事故でした。
このホームページを見て、生存者・遺族の方々の悲しみと、この事故をこれからどう伝えていくかを感じ取っていただけたら、嬉しいです。
1955年 5月11日 午前6時56分 紫雲丸事故がありました。香川県高松港沖合いで、修学旅行生などを乗せた紫雲丸が第3宇高丸と衝突し、沈没しました。
乗客781人のうち222人が負傷、168人が死亡という悲惨な事故でした。紫雲丸事全体で亡くなった人のほとんどが小中学生でした。沈没する寸前に、船から脱出する際、大人が子どもを突き飛ばし、我先にと逃げていきました。このときに、大人が助けてくれれば、ほとんどの子どもが助かったと思います。
船長は濃霧での航行中、目視で万全の注意を払わなければならないのに、マリンレーダー観測のみに専念したそうです。霧が濃くかかっていたのに出航したのがくやまれます。もし、出航していなれば人の命がなくならずにすんだと思うと、なんとかならなかったのかと思いました。
午前6時40分ブリッジ前方から視界を確認した時点で4〜500m先の漁船が目視できたため、紫雲丸船長は出航を決定。同刻、乗客781人乗員60人を乗せて上り8便「紫雲丸」は高松港を出航しました。
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紫雲丸プロジェクト*
六年生は、年間を通して総合的な学習の時間に、紫雲丸プロジェクトの活動(紫雲丸学習)をしてきました。私たちは、これまで四年間、毎年生存者の方のお話を聞き、命の重さや大切さについて考えてきました。この学習をする中で考えたこと、感じたことをまとめたり、伝えたりする活動を通して、ひとりひとりが自分の生き方を見つめ直すこともできました。百五十八名は四つのチームに分かれ活動してきました。
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記念碑チーム
記念碑の掃除・花の水かえ・記念碑紹介
花壇作り
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紫雲丸のへやチーム
掲示物の作成・全校への呼びかけ・VTRの編集・歌作り・千羽鶴
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校内へ広めるチーム
紙芝居作り・劇作り(人権集会で発表)
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地域へ広めるチーム
ポスター作り(公民館など)HP作り
本作り
どのチームも、紫雲丸事故について、また記念碑について、学校のみんなに知ってほしい、地域のみなさんに知ってほしいという願いをもって活動してきました。活動をする上で、私たちが気をつけてきたことは、
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事実を間違えなく伝えること
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わかりやすく伝えること
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下級生のみなさんに引き継いでもらえるような活動にすること などです。
紫雲丸事故から五十四年たった今、この事故を過去の悲しい事実としてだけとらえるのではなく、残された被害者や家族の方々の想いから、今ある命に感謝する気持ちをもたせてくれる事実として学び、活動は深まっていきました。



*生存者の方の想い*
HP係で話し合っている時、やっぱり生存者の方の想いをぜひHPにのせて、たくさんの方に伝えたいとみんなで考えました。そこで、生存者の方にお願いをしたら、快く想いを書いてくださいました。
紫雲丸遭難事故考
1 生い立ち
松江市の川津校区には、幼稚園から大学まであって、松江市の学園地区として多くの学生たちでにぎわっています。しかし川津は、ゆるやかな朝酌川の流れを中心に田園が広がり「春にはレンゲや菜の花が咲き、夏は一面の青田となる。秋には豊かな稲穂が稔り、冬は静かな銀世界へとかわる。」この四季の繰り返しが永久に続くと思われました。こんなのどかな川津の里に私たちは生を受けました。
2 当時の子供の遊び
昭和30年代の子どもの遊びは、現在のパソコンゲームなどの遊びは夢物語、私たちは「かくれんぼ」「チャンバラごっこ」など、自然の中での遊びしかなく、野や山や川が遊びの場所でした。また、食糧も十分ではなく育ち盛りの私たちにとって、自然からのおやつ、夏はヤマモモ・クワの実、秋には柿に栗などの採取が楽しい遊びでもありました。
3 修学旅行
家族旅行などの機会は、まだほとんどなく交通機関である汽車や汽船に乗ったことのない児童も多く、私たちにとっての修学旅行は待ちに待った楽しい期待と好奇心ふくらむ旅行でした。
当時はまだ戦後復興の途中で日本全体が、経済的にも恵まれていない時代でした。農業収入以外大きな収入もないところから、苦しい家計であったことは否めませんが我が子には、いろいろな経験を積ませたいとの強い親心からの旅費捻出だったと思います。
昭和30年5月9日、私たちの大きな期待と親の思いがいっぱいの四国・岡山方面への2泊3日の修学旅行は、保護者をはじめ多くの地元の人々に見送られての出発でした。
その帰路のことです。高松沖の瀬戸内海で起きたこの事故が、川津小学校修学旅行団66名中、25名の尊い命を一瞬にして奪いました。その衝撃は大きく、川津の里は深い悲しみに包まれてしまいました。
そんな傷心の私たちに全国各地から慰問の言葉、慰問の品々が届けられました。私たちは、まったく知らない人々のあたたかい心が、大きな支えとなりました。特に、近隣の持田、朝酌、北堀小学校などの児童からの励ましは、今でも記憶に残っています。
4 生存者の会
修学旅行の引率担任の教諭であった松本敏雄先生と三島亭三先生のお二人は、事故後お盆か命日には、毎年必ず欠かすことなく犠牲となられた方々の墓参りを続けてこられました。
私たちは両先生のお姿に接し日々の勤務や育児に多忙なところでしたが生存者の会を結成して行動を共にしました。その後、両先生のご指導で13回忌・33回忌の合同法要をはじめ、平成16年には50回忌記念事業として「紫雲丸事故の教訓を風化させてはならない。」との思いから関係者をはじめ、松江市民の皆様にもご参加いただき50回忌の法要を紫雲丸記念碑の前で、紫雲丸遭難追悼の集い(シンポジューム)は川津公民館で開催しました。その記録を「紫雲丸追悼録―あれから50年 あの日をふりかえり」として平成16年7月に発行したところです。
5 あれから53年
私は、今春請われるまま、川津小学校の児童の前で紫雲丸遭難事故の体験を話すこととなりました。話が進むにつれ、多くの友人・先生とお別れした、あの静かな瀬戸内海で起きた阿鼻叫喚の世界に再び陥り言葉をなくしてしまいました。
土門挙著「ヒロシマ」によりますと、今、原爆の惨禍に対する市民の気持ちは「あの出来事は完全に忘れたい。思い出を誘うものは見ること聞くことまで厭わしい。」とする人々と、「未来永劫忘れてはならない。むしろ世界中の人間に忘れさせてはならない。それはあの恐ろしい被害と共に自分たちに課せられた運命的な任務だ。」と信じている人々の二派に分かれると語っています。
事故後、私たちは後者を選んできました。又、私たちの子どもはいつしか成長し孫も授かりました。しかし、最近のニュースでは、親殺し子殺しの忌まわしい事件が報道されています。
ここで今一度この事故で犠牲となられた友人の、ご両親のお心を考えてみました。可愛い我が子を事故で亡くした悲しみと怒りには、計り知れないものがあったと思います。そんなつらい思いを抱えながらの生活は、私たちのストレスを遥かに越える生活であったことは明白です。
ご両親の悲しみは、どんなに永い時間を経ても、またどんなご供養、懺悔をしても、決して癒されることはないでありましょう。
人の命は地球より重しと言いますが紫雲丸遭難事故から53年を経た現在、この事故を風化させることなく、人の命の尊さを伝えることが私たち生存者の使命であることを改めて自覚しているところです。
足立修吉さんから
*ホームページの作成を終えて* HP担当 児童の感想
「地域に広める」係になって、ホームページを作り、改めて紫雲丸事故の悲しみを知りました。私たちはみんなで協力して、ホームページを作りあげてきました。それぞれの作ったホームページで、重なっているところはないか、確かめ合いながら、作り上げてきました。インターネットで紫雲丸事故について調べたり、直接生存者の方のお話を聞いたりして、実際に『紫雲丸の部屋』を作ったり、いろんな活動をしてきました。
紫雲丸事故のことを、地域の方々に知っていただけたらいいなと思います。そして、インターネットを通して全国の方に命の大切さを知っていただきたいです。
川津小学校の在校生や、今後新しく入ってくる1年生、より多くの人に知っていただくために、私たちが命を大切にする思いをつなげられるようにバトンを渡したいと思います。
私は紫雲丸学習で【命の大切さ】について、学びました。命は、なくなったら誰かが悲しむ。誰の命でも無くなってはいけないということです。紫雲丸事故の教訓を生かし、二度とこのような事故が起こらないよう、これからも多くの人に伝えていきたいです。
紫雲丸学習で思ったことは、二度とこのような事故が、おこってほしくないということです。
そして、こんな事故を起こさないように注意しないといけないと思いました。
遺族の方々の気持ちを思うと悲しくなりました。自分が知らない事実を知ったとき、悲しい気持ちになりました。それは、死者数です。たくさんの人がなくなっていたので、悲しくなりました。
ホームページを作るために、インターネットを使って調べたり、パソコンに書き込んだりしました。普通に調べたり紙に書いたりするのとちがうのは、ホームページは世界中に発信される事です。だから、それだけ難しかったし、文章も、言葉を選んで慎重に書きました。ホームページを作る事は想像以上に大変でした。だけど、作り終えてみて、パソコンの特技を活かせてすごく充実した紫雲丸学習だったと思います。
川津小学校に今いる在校生も、これから入学してくる新入生も、この紫雲丸学習を受け継いでいって欲しいなと思います。
このホームページによって、一人でも多くの人に紫雲丸事故のことを知ってもらいたいです。
この事件は、わざと事故を起こしたものではありません。霧が濃い時に出航するかしないかという、判断を誤ったからこのような事故が起こった訳だから、もうこのような事故を二度と起こらないように、みんなの安全を考えて運航してほしいです。
このような事故をみんなの心の記憶から消さないでください。
当時、紫雲丸に乗っていた担任の先生からお話を聞きました。「逃げる時、子供を踏みつけて逃げる大人がいた。だから、体力のない児童が取り残される事態となった。」
でも、担任の先生は自分の生徒を連れ、助けようとしたそうです。『なぜ、自分の命がなくなってしまうかもしれないのに、助けられるのだろう』と、思いました。
次に心に残ったのは「男の子と女の子が波にのって流れてきて、流れてきた流木につかまって2人を助けた。」と言われたことです。子どもたちの命を助ける勇敢な行動には感動しました。私たちは、今、自分たちにできることをさがしていきたいです!
私はこの紫雲丸学習で大切なことを学びました。それは、命の大切さと、事実を伝えていく大切さです!命の大切さを学んでも、それを伝えていかなければ、次の子孫は、命の大切さを知ることはできません。だから私は、この紫雲丸学習で学んだことを、多くの人に知ってもらい、たくさんの人に伝えていきたいです。
この学習は、私たち6年生に大切なことを学ばせてくれました。これからもこの学習で学んだように命を大切にしていきます。
*終わりの言葉*
紫雲丸事故については分かっていただけたでしょうか??
私たちはこの事故をきっかけに改めて命の大切さを知りました。
このHPを見てくださっている方も命を大切にしてもらえると嬉しいです。
また、感想を聞かせて下さると喜びます。
平成20年度 川津小学校6年生 紫雲丸プロジェクト HP係
紫雲丸に関するHPを参考にして作成しました。平成21年3月